熊谷から妻沼まで走っていた 妻沼線

題名「かめのみち」(第44回公開映写会 作品)

 

 翻弄された鉄道
 東武熊谷線は1942年(昭17)に群馬県太田市に

   あった

   中島飛行機に軍需物資や人員を輸送するための

   国策線として着工された。

 名称妻沼線で親しまれて東武鉄道にあって

   最後に残された非電化路線でもあった1時間に1本

  

    のんびりと往復をするジーゼル車両。

  延伸計画もあったが、開通以来赤字続きで、

      1983年(昭和58年)に廃線となった

         なぜ?「かめのみち」

かめのみち 制作工程

第一回目 構成試作案作品  かめの道

高崎線とクロスオーバーする秩父線、この様な築堤式高架が妻沼線にもあった

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